入選
《「親切」はだれのため?》
岩美町立岩美北小学校 5年 森川 あさひ
家族で、京都旅行に行ったときのことです。京都の街はどこに行っても人がいっぱいで、たくさん歩いてとても疲れていました。ホテルに帰るために、長い時間並んでバスに乗ったときは、(やっと座れる)と、ほっとしました。
けれど、バスは満員。二つしか空いていなかった席に、私とお兄ちゃんが座ることになりました。すると、次のバス停で、小さな男の子を連れたお腹の大きなお母さんが乗ってきたのです。疲れていた私は、うとうとしてしまいましたが、お兄ちゃんに、「あさひ、席替わってあげよう。」と言われて目を覚まし、よく分からないまま席を立ちました。
お母さんと男の子は何度も何度もお礼を言ってくれて、なんだかとてもうれしい気持ちになりました。席の隣に立っていた私のお父さんとお母さんもうれしそうな顔をしていて、私はとてもいいことをしたのだと思い、ほこらしい気持ちになりました。
次の日、またバスに乗る機会がありました。私は、少し離れたところに立っているおばあさんを見つけ、迷わず席を立って、「席、ゆずります。」と言いました。しかし、おばあさんは、「ありがとう。でも、大丈夫よ。」と言って、私の席には座ってくれませんでした。親切のつもりだったのに断られてしまって、私はなんだかとても悲しい気持ちになりました。
けれど、次のバス停で降りて行ったおばあさんを見て、はっとしました。おばあさんは、すぐ降りる予定だったから断ったのかもしれないのです。もしかすると、私に席をゆずられて気まずい思いをしたのかもしれません。
そして、自分が感謝されるために、おばあさんに席をゆずろうと思っていたことに気づきました。私がしたのは、おばあさんの気持ちや立場を考えない、自分のための「親切」でした。だれかに「ありがとう」と言われることは、とても気持ちのいいことです。だれかの役に立ったり、感謝されたりすると、少し立派な人になったような気にもなります。
けれど、本当の「親切」は自分のためではなく、相手のためにするものだと思います。私はよく、好きなテレビを観ているときに、「ちょっと待って。」と言ってしまいます。テレビが終わってから手伝いにいっても、「ありがとう。」と言ってくれるけれど、それもお母さんの都合ではなく、自分の都合を優先した親切かもしれません。
これから先、私は自分が気持ちよくなるための親切ではなく、相手に気持ちよくなってもらえるような親切をしていきたいです。自分に余裕があるときはもちろん、そうでないときにも助けが必要な人のために、親切な行動ができるような人になりたいと思います。


