第47回 作文コンクール入賞作品
第47回 作文コンクール入賞作品

優秀賞

《鳥取県智頭町立智頭中学校3年》
寺坂 叶絵「手渡しは心の橋渡し」

 物を直接両手で渡すこと。そして、それを両手で受け取ること。そのやり取りの一つひとつは、日常のたった一場面にすぎないけれど、その一つひとつのやり取りを私は大切にしている。
 私が小学校に通い出したある日、帰宅して宿題が終わったあと、学校からもらった手紙を母に渡したときだった。       「人に物を渡すときは、両手で物を持って渡すのよ。」
  いつも明るく接してくれる母が、静かに、真剣に私に教えた。そのときの私は、こんなささいなことでも、大人は気にするのだな、と軽く考えていた。
  その翌日、先生からプリントを渡されるクラスメイトたちを見て、疑問を抱いた。誰ひとりとして「両手で受け取らない」のだ。昨日のお母さんの話は間違っているのか。なんで先生はみんなに注意しないのだ、と私は困惑した。
 それからそのできごとを忘れ何年か経ち、あるとき、友達が私に手紙を渡し、こう言った。
 「はい、どうぞ。」
 たったそのひとことと、少しの笑みで渡してもらっただけだったのに、私は温かい気持ちに包まれた。また、私が、「ありがとう。」と、笑顔で言っただけなのに、その友達は笑顔になった。
  そのことを、コロナ禍の今思い出し考える。今、私をふくめ世の中の人たちは、会話の中で温かさを感じられているのか、と。不安定で騒がしい、忙しい日々の中で、心の込もった少しの「まごころ」を忘れ去っていないか、と。
  後ろを振り向かず、片手で渡す人。投げて渡す人。そんな渡し方はもってのほかだが、「丁寧さ」を求められていないときにも、両手で、さらにひとこと声をかけて渡すことが、私たちに必要なことで大切なことだと思う。
  自分の評価や印象のためではなく、相手とのコミュニケーションのために丁寧な振る舞いをすることで、今のこのストレスがあふれる生活が、少し楽になると思う。
  母があのとき注意したのは、常識だとか、世間体のためでなく、優しい生き方を教えるためだったのかと、最近考える。そして私は、手渡しは一番のまごころだと思う。私が体験したあのできごとは、それを知れた私にとって、かけがえのない体験になった。
  人は世の中であたりまえのことを身につけていくから、あのとき先生が注意しなかったのは、まだ私たちには難しく、必要でない時期だったからかもしれない。ただ、あたりまえとして学んだことは、人にとって優先度の低いものに見えてしまうから、しっかりとその行為の本質を私たちは捉えるべきだと思う。
 私はこれからの生活で、温かい文化をつくっていくために、少しの行動にも意味を見出して生活していきたい。そして、手渡しを通して、心の橋渡しとなるできごとに出会っていきたい。

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