第44回 作文コンクール入賞作品
第44回 作文コンクール入賞作品

入選

《鳥取県》鳥取市立桜ヶ丘中学校3年 三浦 陽典
『「小さな」親切とは』

入賞作品 僕はこの夏、ある合宿交歓会に参加しました。その交歓会で同じ班になったS君は、部活中に右足のすねを骨折したそうで、松葉杖と車いすの生活でした。僕は同じ駅伝部に入っているという共通点からS君と親しくなり、交歓会中、一緒に行動をしていました。そのため、S君の手助けをしなくては、と使命感に燃えていました。そう思っていたのは僕だけではなかったようで、交歓会中、S君が移動する度に代わる代わる車いすを押したり、外に出るときには、同じ班の誰かが靴を運んだりと、みんなが思いつく限りの手助けをしていました。そして、座ったままでもできる話し合いや活動の場面でも、S君はみんなから気を使われていたように思います。
 もちろん、僕もみんなも純粋に、S君の助けになればと思って行動していました。しかし、二日目の夕方、S君がぼそっとつぶやいたのです。
「僕が骨折しとるだけで変に気を遣ったり、何でもかんでも手伝われるのは嫌だわー。なんか、自分がすげー惨めに思えてくる。」
 僕はその言葉を聞いて驚きを隠せませんでした。自分が「親切」だと思ってやっていたことが、まさかS君をそんな気持ちにしていたなんて考えもしませんでした。僕はS君の本心を知り、「親切」とは何なのかを改めて考えました。それまでは、S君の負担ができるだけ少なくなるようにと、先回りをして動いていました。しかし、S君が本当に必要としていることを想像してサポートするようにしてみました。また、足に負担のかからない作業などは、S君にもどんどん担当してもらいました。するとS君は、見違える程生き生きと活動していて、とても楽しそうでした。
 この経験から僕は、ただ手伝ったり負担を減らしたりするだけの「親切」は、結局その人の居場所を奪うかもしれないのではないかと気がつきました。「居場所」とはもちろん物理的なものではなく、心の居場所です。
 「親切」とは、自分が何をしてあげられるかという自分本位なものではなく、相手が何を求めているのかを考えることから始まるものだと思います。だからこそ、障害がある方や、外国人の方を弱い立場と決めつけ、きっと助けを求めているだろうと思い込んで動くのでなく、自分の周りにいる一人ひとりの人に対して、何を考えているのだろう、何を求めているのだろうと想像することが必要なのだと思います。
 一人ひとりが、隣にいる人のことを考えながら行動することで「親切」が生まれるのだとすれば、「親切」とは、張り切ったり大げさにするものではなく、そもそも「小さな」ものの積み重ねだと思います。僕も、周りの人の心の居場所を作れるような、「小さな親切」を心がけていきたいと思います。

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